第29回「劇場」に気軽に来れる環境を。

2008年9月14日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

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朝夕は涼風が吹いて過ごしやすくなりましたが、日中は残暑が厳しく、アーラの水と緑の広場には多くの子供たちが水遊びに来ています。歓声がアーラのガラスに反響してにぎやかな光景となっています。その光景を前にしながら、「きっとこの子たちは、劇場を堅苦しいところと感じないで育っていくのだろうな」と思いました。劇場で遊びながら、劇場を自分の生活の中に織り込んでいくのだろうな、とちょっと嬉しくなりました。

冬になれば水と緑の広場と木々はイルミネーションでライトアップされます。多くのご家族やカップルがコートの襟を立てて光の中にたたずんでいます。とても心の温もる良い光景です。イルミネーションの前を走る影絵のような子供たち。はしゃいでいる彼らの心模様が手に取るように分かります。春と秋にはお弁当を広げる家族連れの姿を多く見かけます。家族のあたたかさと子供たちの楽しそうな笑顔と笑い声があちこちで見られます。

劇場・ホールは非日常的な場所だからあらたまった服装で訪れるのが良い、という人がいます。それもひとつの見識かもしれません。好き嫌いで言わせていただければ、私は劇場は気軽に訪れることの出来る場所でありたい、その方が素敵だし、理屈ではなく「好き」なのです。「普段着の社交場」である劇場が好きなのです。

おそらく私が最初に感動した外国の地域劇場がそうだったからなのかも知れないと思います。その劇場は、北部イングランドのリーズ市にあるウエストヨークシャー・プレイハウス(WYP)です。1998年の6月のことでした。バルセロナで開催された国際文化経済学会で論文を発表したあと、ロンドンを経由してリーズ・ブラッドリー空港に飛びました。そこで出会った地域劇場に、私は心底驚かされました。私がその一年半ほど前に出版した『芸術文化行政と地域社会』という本の中で構想していた「レジデント・シアター」とそっくりそのままの活動をしている劇場が、目の前に現れたのでした。

WYPには毎日多くの市民が訪れます。毎週水曜日は高齢者プログラムの「ヘイデイズ」の日です。朝九時半からランチをはさんで午後三時半まで、劇場内は何百人もの高齢者でいっぱいになります。ロビーやレストランのあちこちで、いろいろなグループがテーブルを囲んで水彩画や壷の絵付け、編み物、人形作り、折り紙、スタンプアートなどをしています。むろんいろいろな諸室では演劇や合唱、ミュージカル、リーズの百年後を議論するグループなどが活動しています。毎週水曜日のWYPは、高齢者の笑い声でいっぱいに満たされます。まさしく「普段着の社交場」になります。

WYPが障害者の運営する「クラブ」に変貌する日もあります。親子連れで一杯になる日もあります。学校ごとに色分けされたセーターを身に着けた子供たちで賑わうこともあります。また、WYPからは学校まわりのスクール・ツアリング・カンパニーが毎日出かけていきます。子供たちの抱える問題を地元の劇作家と一時間程度の作品にして、ワークショップをして、上演して、その問題についてディスカッションをします。午後の三時過ぎになるとスクール・ツアリング・カンパニーの三、四人の俳優とスタッフがレストランで一息ついているのに出会えます。

アウトリーチ・プログラムはこれだけにとどまりません。放課後の三時から六時までのあいだに子供が犯罪に巻き込まれたり、犯罪や麻薬に手を染めるという調査結果に基づいて、子供たちの放課後対策として、劇場がスポーツ選手やアーチストやワークショッパーを派遣する「SPARK」というプログラムがあります。スポーツの「SP」、アーツの「AR」、知識(ノレッジ)の「K」を織り合わせたプログラム名なのです。犯罪や麻薬に手を染めて少年院に入った子供たちと、普通に学校に通っている子供たちを一緒に協働させる音楽プログラム「ファースト・フロア」というプログラムもあります。優秀な子供にはリーズ音楽大学への推薦入学の権利が与えられます。まさに「再チャレンジ・プログラム」です。どこかの国よりよっぽど具体的で、実際的な内容です。

むろん、WYPは英国随一の地域劇場と呼ばれ、ロンドンのナショナルシアターに招かれてロングランするほどの優れた舞台も製作しています。そして、毎日、多くの市民がミーティングを開いたり、食事に来たり、お茶に来たり、本を読みに来たりと、訪れています。

WYPとの出会いと前後して、私は「道立劇場計画」に関わっていました。1996年に「道立劇場基本構想委員会」が始まり、「基本計画委員会」、「基本設計委員会」と重ねて「北海道劇場PFI調査ワーキンググループ」の主査を務めたのが2002年でした。「日本の何処にもない劇場をつくろう」とモデルにしたのがWYPでした。7年間の北海道劇場との付き合いも知事の交代で「計画凍結」という結果となりました。55歳になっていました。「この先、あまり長くは生きられないのだから北海道劇場を構想する過程でつちかった知識や見識を、次の世代に移そう」と大学の教師依頼を受けることにしました。

そして、先日、総務省の外郭団体である(財)地域創造で、北海道劇場計画の最終年に委員をお願いした片山泰輔氏(現静岡文化芸術大学准教授)とシンポジウムをする機会がありました。全国の文化政策幹部にアーラの報告をすることになっていたので映像を使用しながら現状をお話ししました。終了後の講師控え室で片山さんから「衛さんは、北海道劇場でやろうとしたことを可児でやっているのですね」と言われました。本当のところは、「北海道劇場でやろうとしたこと」ではなくて、WYPのような劇場を可児につくれば全国のモデルになると思っているのです。

気軽に劇場を訪れることのできる、ちょっと立ち寄れるアーラでありたいと強く思っています。劇場やホールは、いまでも日本では「特別なところ」であり、足を踏み入れるには「障壁」を超えなければならない場所のようです。ですから、私には子供たちの歓声が頼もしく思えます。襟を立ててイルミネーションの光の中にたたずむ人たちを愛おしく思います。芝生に広げたお弁当をちょっと覗きたくなります。私に残されたアーラでの時間はどのくらいか分かりません。でもしかし、その日が来るまで全力投球です。年を取っても私は直球だけを投げ続けます。アーラがいろいろな人々の笑顔で一杯になるように。

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