第25回 公共文化施設は社会政策を実現するための手段でなければ。

2008年8月8日

可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生

「ハコモノ」という言葉があります。自治体が設置する公共施設で、とくに専門スタッフが配置されずに「地域文化の振興」という設置目的がお題目に過ぎない建物を揶揄するときに使われます。大抵の場合は、行政の無駄遣いに対して批判的に用います。建設費による地元への経済効果を期待して、公共施設をつくることだけを目的化すると「ハコモノ主義」との批判を受けます。90年代には、一週間に三館のペースで公共文化施設が全国各地で建設されました。「建設ラッシュ」という言葉が使われました。これも「隣町が造ったのだからうちの町にも」という考え方を揶揄した物言いです。一日おきに全国のどこかで開館記念の杮落としイベントが行われていた計算になります。「ハコモノ主義」と揶揄されても仕方がないと思います。

また、公共劇場・ホールの建設目的を「地域文化の振興」と謳うのにも、私はいささか抵抗を感じます。公共劇場・ホールの設置自体が「政策目的」ではないのはもちろんのことです。設置自体を目的化しているような文化施設はいくらでも造られたのですが、しかし、公共劇場・ホールや美術館、スポーツ施設などは、あくまでも政策目的を達成するための「手段」であって、むろん設置自体が政策目的では決してありません。そうあってはいけないと思います。地域の社会福祉政策目的、コミュニティの問題解決のための「政策手段」として設置されるべきだと思っています。文化政策はむろんのことですが、それだけではなく、教育政策や福祉政策、医療政策などの、いわば社会福祉政策の「手段」としての公共劇場であり、公共ホールであるべきだと考えるのです。

英国のブレア首相は、1994年にソーシャル・インクルージョン(社会的包括)という社会施策のポリシーを決めて、その政策目的を実現するために国内の文化施設に公的資金を投入することにしました。コミュニティの問題解決のために劇場や美術館を活用したのです。ここで言うコミュニティは、地域社会のみならず、家庭や職場をも指す広義の概念です。英国政府は芸術家に、学校や福祉施設や刑務所に行くことを奨励したのでした。小規模のコミュニティ・アーツ・センターから大規模な地域劇場、ホール、美術館まで、人種の違いや階級的格差、性差、世代格差、貧富の格差、マイノリティの経済的格差などを社会全体で包括して「誰もが健康で文化的な生活を送ることができるように、人々を孤独や排除から救い、万人を社会の構成員として包み込むことを目指す」ための政策手段として位置づけたのでした。英国が社会福祉政策の手段として劇場や美術館を活用しようとしたのには、「芸術的な評価」とは違い、「社会的評価」にはほとんど個人差がないことが理由でした。劇場やホールを「芸術的評価」で格付けするのは、芸術作品の受け取り方は千差万別であり、あらゆる人たちに説得力を持たせるのはほとんど不可能なのに対して、「社会的評価」を軸にすれば非常に分かりやすく、目に見えやすく、多くの人が納得しやすいことがありました。

このことを芸術至上主義的な人間は、崇高な芸術を汚すものと批判します。一部の愛好家しか対象としない「崇高な芸術」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。英国の劇場や美術館の大半はチャリティ法人格を持った民間企業ですが、それがましてや日本のように「公共施設」なら、なおさらコミュニティの問題解決のために活用されるべきで、芸術のために特化した施設であるべきではないし、本当にごく一部の人のための施設であってはいけないと私は思います。私は、社会の問題解決のために文化芸術の潜在能力は大いに活用されるべきだと思います。

アーラが「芸術の殿堂」ではなく、「人間の家」を目指しているのにはそういう理由があるのです。アーラは、多文化共生や青少年健全育成、それに福祉政策、教育政策、医療政策を含めて、地域が健全で、こころ豊かな社会となるための事業を始めています。アーラはいま、「政策目的」としての劇場から「政策手段」としてのアーラへとシフトしているところです。もちろん「芸術的評価」の高い舞台を創造しますし、上演もします。それとあわせて「社会的評価」をいただけるようなコミュニティ・プログラムを年々多く実施する計画があります。新日本フィルハーモニー交響楽団と劇団文学座との地域拠点契約も、そのために可児市民にさまざまなコミュニティ・プログラムを提供してもらうことで関係づくりをしようとするものなのです。

「財政的評価」への計画にも怠りはありません。今年度から文化庁の「芸術拠点形成事業」に認定されて三ヵ年の継続的な補助金を獲得しました。来年度には地元企業の地域社会貢献活動のための「アーラビジネス倶楽部」を動かし始めます。また、民間企業が設立している文化系の財団への助成申請を始めます。先月からは、アーラで製作する舞台の全国公演のための営業に入っています。まもなく、中四国と九州に営業に出かけます。それでも支出超過である状態が是正されるわけではありません。しかしそれは「赤字」ではありません。これは「地域社会への投資」だと、私は思っています。「政策目的」を達成するための「投資的経費」なのです。

したがって、アーラは「ハコモノ」ではありません。きちんとした公益的な「政策目的」を持って運営されようとしている公共文化施設です。そして、今後、アーラは年々と進化していきます。アーラがあってよかった、可児市に住んでよかったと言われる劇場になります。市民の皆様にそうお約束します。