第19回 「エンゲル係数」

2024年6月9日

可児市文化創造センターala シニアアドバイザー 衛 紀生

7月半ばに上梓を予定していている2年半をかけて書き下ろした可児市文化創造センターalaの経営の経緯をたどった『人間の安全保障としての芸術文化―人間の家・その創造的アーツマーケティング』の加筆校正を終えて、今後に新しい書籍は執筆する気持ちはないけれども、1994年に岡山県美術館のシンポジュウムで発した「創客」から、その3年後に上梓した『芸術文化行政と地域社会』の序章での「福祉、教育、保健医療、保育などの地域社会が抱える諸問題にかかわり、その解決のための媒介的役割を果たす社会的価値財でもあるとの認知を促して地域社会と行政に意識の転換を求めること」の記述に至り、思いも寄らなかった可児市で劇場経営に携わることなって「社会包摂型劇場経営」を掲げて従来からの福祉配給型文化施設の地域劇場の定義に異議申し立ての疑義を提示する経緯を膨大なメモを括りながら2年半の時間をかけて書き下ろして、その先のデザインとして、2002年に発出された第一次基本方針に明示された「共に生きる社会の基盤の形成」をするのが文化芸術の社会的存在意義であり、「文化芸術は、芸術家や文化芸術団体、また、一部の愛好者だけのものではなく、すべての国民が真にゆとりと潤いの実感できる心豊かな生活を実現していく上で不可欠なものであり、この意味において、文化芸術は国民全体の社会的財産であると言える」が現に存在していながら愛好者に限定するマーケットからの離脱を政策化できず、アーツマネジメントの側からも「常識」や「正常性バイアス」に囚われてイノベーション出来ないでいる現況に対して、今後どうしても縮小することが必至の芸術市場を「主義・主張・共感価値・共創・倫理観・道徳観・価値観・社会へ参加意欲・生活実感への共感共鳴」を共有する「エシカルで新しいマーケット」の創造という仮説を立てています。出版社に入稿してすぐに、その先を考えようとレベッカ・ヘンダーソンの『資本主義の再構築』を取り寄せて、一日に70ページ程度のノルマで読み進めています。新しいマーケットのあとに構想する社会の在り方を考えるうえでとても参考になります。

読み止しのまま休憩していると「エンゲル係数」という久しく耳にしなかった言葉がテレビから流れました。1950年代、私が小学生の頃に教えられて「ウチはエンゲル係数が高いから」などとクラスメイトと言い合ったりしていた言葉が不意に耳に入ってきました。一瞬、旧懐の情がわきましたが、おそらく70年を経てマスメディアから流れてた言葉でしょう。先進国で「エンゲル係数」が語られるのは日本くらいではないか。都内数か所の公演に設けられている炊き出し場の行列はコロナ禍を超えていますし、一人親家庭の食卓は想像を超えているようです。『資本主義の再構築』で一貫する社会全体の「共有価値」で吟味すれば、どう考えても社会は劣化しているとしか思えません。

この『資本主義の再構築』は、ノーベル経済学賞のジョセフ・スティグリッツの「アダム・スミスは間違っていた」と市場原理主義の拠り所である「(神の)見えざる手」を批判しており、世界的な碩学である経済学者の言葉だけに大きなインパクトがありました。その後は「資本主義の後に来る経済思想」や「最も成功した資本主義を再建する」という主旨を内容とする書籍は、経済学者、経営学者にかぎらず政治学者、社会学者、心理学者からの提案を含めると多数にのぼります。格差の看過できないほどの拡大と、かつては国を支えた中間層の急速な縮小、国民の分断への強い危機感がそれらの論文の裏には共通していました。レベッカ・ヘンダーソンの『資本主義の再構築』もその社会の劣化への危機感をインセンティブとした論文なのですが、本文中の「何をすべきかがわかっていないわけではない。どのようにすべきかがわかっていないのだ」に集約されているように、彼女の処方箋はキーワードとして「共有価値の創造」と「強欲に短期利益を求めないサスティナブルな投資姿勢」を挙げています。いわば「応援投資」です。さらに共有価値に基づくESG投資と経営、社会的意義を背景とするパーパス経営、消費者ばかりでなく生産者、従業員のウェルビーイングに向き合う幸福経営を観察すると、株主資本主義に煽られて利益の最大化に向かうよりも、中長期的には大きな利益を生むとのエビデンスによって「経済合理性」が証し立てられていると記しています。そのような企業組織の行動が、新自由主義経済思想によって歪められた資本主義と民主主義を再構築すると、説得力のある事例を援用して述べられています。

スティグリッツ博士は、2019年の東洋経済ONLINEのインタビューで、新自由主義経済思想を理論的背景としたレーガノミックスで「最上層の人々に有利な市場の再編が始まった」として、市場原理主義は「二百数十年にわたり資本主義の成功を支えてきた重要な要素を軽視した。その結果、当然予想すべきだったことが起きた。成長の鈍化と格差の拡大である」と自著『PROGRESSIVE CAPITALISM利益はみんなのために』における基本姿勢を記して、最後に「自らの首を絞める資本主義を救う時間はまだある」との希望を述べています。しかし、『資本主義の再構築』も『PROGRESSIVE CAPITALISM利益はみんなのために』も、私の立場からはともに同時代人として激しく同意できるものですが、人間のこころに変化を生じさせて、社会の空気を変えることが「雨だれ石を穿つ」ほど気の遠くなる時間と諦めずに妥協しないタフな、あわせて「柳に雪折れなし」の楽天性が必要と、94年の「創客」の構想から2008年の「社会包摂型経営」までの経験から学習しています。私はESG経営やパーパス経営やウェルビーイング経営のように「共有価値」の実現のための経営理念・哲学をゆるぎない心柱にして組織をマネジメントする方が、中長期的な多様な利益と、あわせて無形経営資源である「評価と評判」を生み出すことを知っています。『資本主義の再構築』も、その長い道程を覚悟して進むべきとの問題提起をしています。また、それには「構造的な障壁がある」として「それは短期重視と世界の投資家の無知である」とバッサリと断言しています。「投資家があくまでも四半期の増益を求め、目的の価値を理解せず、計測をすることもできないのであれば、目的主導の企業になるのに必要な長期投資を行うことはきわめてむずかしくなる」として、「投資する側の問題点」を強調しています。それにはアウトプットで計る成長信仰に偏向するKPI指標(重要業績評価指標とか重要達成度指標と呼ばれる評価方法)ではなく、新たな「指標開発」と「アウトカム評価技術手法」に向かって、近視眼的な評価から長期投資にシフトするインセンティブとなる説得力のあるエビデンスを出す社会的責務が生じることを物語っています。文化政策における「社会的必要に基づく戦略的投資」との第三次基本方針で吟味すれば、芸文振のウェブにアップされた事業概要の「変更点」に記された「アウトカムの記載は求めません」は論外ですが、「芸術水準の向上」という政策目的の指標として観客動員数というアウトプットを設定して承認した学者・研究者からなる文化政策部会の委員たちと、それを認めた文化庁の官僚の「社会的必要に基づく戦略的投資」の意味を咀嚼していない不見識と無責任さには驚くばかりです。補助金の原資は税金です。劇場音楽堂と芸術団体は文化的制度ではありますが、公的資金で支援されることで社会的制度となることが求められるとの文化経済学の知見をまったく理解していないと、私は呆れるばかりです。「社会的必要」は「文化振興」という実は何も政策課題を語っていない意味を失した文言であることは、時代環境の変化に注視していれば容易に理解できます。社会の在り方にインパクトをもたらす多様な「共有価値」によって、政府自治体が諸芸術機関を支援する「社会的必要」があるのだとの理解が求められており、そのための「戦略的投資」であると、素直に基本方針を読めば理解できると、私は考えています。

ウォルマートのCEOダク・マクミロンの電子商取引(イーコマース)への投資と従業員の時給引き上げの投資に対して一株あたり利益が6%~12%減少するとの発表で株価が10%近く下落した事例を提示して、レベッカ・ヘンダーソンは、資本主義の再構築には会計制度の見直しが必要」と提案しています。これは、ヤマハ発動機の浄水器部門で、アジア・アフリカにおける「インパクト加重会計」でおよそ22億円が計上されているような、従来の正味現在価値を計るだけの会計基準では、社会的インパクトや人的資本やブランド資産や組織運営の適正性等の無形資産の見える化ができないので、企業組織の中長期的な伸展を正確に測れないと結論づけて、時代環境に見合った適正な「評価指標開発」を提言しています。 従来からの「財務諸表」を見ているだけでは、大切な変化を見落としてしまって「現在地」ばかりか到達しようとする地点予想もできないとの危機感を書きます。この「会計制度の見直し」には、評価指標の設計、社会的必要=共有価値の精査によるアウトカム設定という、容易には開発できない技術開発が含まれています。1999年には、「環境に責任をもつ経済のための連合」セリーズ(CERES)がサスティナビリティに関する報告書の標準化を目指す組織グローバル・レポーティング・イニシアティブを創設するなど、この課題はいまだに開発途上であることが示されています。しかし、国自治体における文化予算の執行にとっても、それは共有価値のための支援であって、それであってこそのパブリック=公共の担保なのだと考えます。

私は『人間の安全保障としての芸術文化―人間の家・その創造的アーツマーケティング』でのロジックを演繹して「主義・主張・共感価値・共創・倫理観・道徳観・価値観・社会へ参加意欲・生活実感への共感共鳴」を共有する「エシカルで新しいマーケット」の創造を一つの作業仮説として設けています。利他的で倫理的なつながり(ethical connection)で編まれた「新しいマーケット」です。レベッカ・ヘンダーソンは、共有する価値による資本主義の再建と社会の健全化への「構造的な障壁がある」として「それは短期利益重視と世界の投資家の無知である」としていますが、その解決策として、米国の従業員20万人のパブリックス・スーパーマーケット・チェーンや従業員数8万3000人のジョン・ルイ・ハートトナーシップやスペイン・バスク地方の従業員8万人超、2018年の売上高132億ドルのモンドラゴンを上げて「従業員所有企業」を挙げています。モンドラゴンの事業領域は広く、金融、工業、流通、建設、そしてモンドラゴン大学や研究開発センターなどの研究分野にまでわたります。スペイン内戦の傷跡が残る1940年代にバスク・モンドラゴン教区に派遣された1人の神父によってモンドラゴンは創設されます。貧困、飢えに苦しむ地域の実情、そして教育を受けられない子どもたちの多さに心を痛めた神父は、この地域の再興のために雇用と教育が必要と考えたのが、その動機でした。神父は、「競争」ではなく「共創」こそが重要だと考え、「自分たちから仕事を創り、世界に働きかけていく」というコンセプトを掲げました。モンドラゴンの当初の理念から言っても、企業組織活動が社会の在り方を決める主要因であり、学生時代に読んだカール・マルクスの「下部構造(経済)が上部構造(人間の精神的な活動・観念・思想・理念等々)を規定する」というテーゼを想起します。『人間の安全保障としての芸術文化』に地下水脈のように流れているマーケットは経済的需給の均衡で形成されるだけではなく、現代では社会心理的需給も大きく加味されているとの知見と符合しています。前回のエッセイにも記しましたように。山口周氏も『クリティカル・ビジネス・パラダイム―社会運動とビジネスの交わるところ』で、氏の提唱する「クリティカル・ビジネス・パラダイム」を投資家、顧客、取引先、従業員などのステークホルダーの価値観を批判的に考察し、これまでと異なるオルタナティブを提案することを通じて社会に価値観のアップデートを起こすことを目指す企業活動と定義して、そのような理念による経済的な市場活動が精神的な活動・観念・思想・上部構造を規定するとの考えを示しています。「資本主義の再構築」にはそのような市場と社会の相互価値交換関係に強いインパクトを与えなければ変化は生まれないとの、レベッカ・ヘンダーソンのイノベーションへの強い意志がうかがえます。

ヨーゼフ・シュンペーターは、ピーター・ドラッカーが再評価すべきとしたオーストリアの経済学者で、「イノベーション」、「アントレプレナー」、「破壊的創造」といった現在でも使われている経営学の言辞を生み出した碩学です。「社会制度のリコンストラクション」が必要となると記したシュンペーターが、1912年に発表した『経済発展の理論』の中で「新結合」(new combination)という言葉を使って「イノベーション」の概念を提唱しました。イノベーションを日本では、もっぱら技術革新と訳されてそれによる生産方式の効率化や生産性向上のため手段と理解されていますが、彼の構想した「新結合」(new combination)とは、「従来の常識では組み合わせたことのない要素を組み合わせることによって、新たな価値を創造すること」と一義的には定義すべきで、いわば「思い込み」や「常識」から離脱して、思いもよらぬものを結合させて「新しい価値を創造する」ことを意味します。これは、現代では幾種かに分類されているイノベーションのうち、常識的には考えられない要素を組み合わせることで新しい価値を創造する「アーキテクチャル・イノベーション」と呼ばれている手法です。

生産者主権のマーケティングから消費者主権のマーケティングへと変遷し、現在は社会的価値主導のマーケティングとなっています。その大きく転換した共有価値が「アーキテクチャル・イノベーション」への転換を促しているのでしょう。自分が確信的に思い込んでいた「常識」は、価値観をはじめとして構造的に根底から覆されて陳腐化する時代を私たちは生きています。以前から言われていましたが、そのような時代を指して、最近では「VUCA(ブーカ)の時代」と言われるようになりました。VUCAというのは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとった造語です。一言で表せば「先の読めない時代」です。昨日まで信じていた考え方を、その根底から疑ってみないと前に進めない、そればかりか意思決定したことさえも僅かなあいだに陳腐化してしまうという時代環境になっているのです。まさしく「アーキテクチャル・イノベーション」の時代です。シュンペーターが提唱したイノベーションの概念である「新結合」(new combination)とは、「従来の常識では組み合わせたことのない要素を組み合わせることによって、新たな価値を創造すること」と定義すべきで、いわば「思い込み」や「常識」から離脱して、思いもよらぬものを結合させて「新しい価値を創造する」ことがイノベーションなのです。

「化石燃料に頼る産業構造を変えなければ、多くの生物が絶滅する地球規模の危機を迎えている」との危機感を持ち、世界各国で政策アドバイザーを歴任してきた経済社会理論家ジェレミー・リフキンは、『限界費用ゼロ社会』の中でコンピュータ・ネットワークは近い将来サーバーを介さないピア・トゥ・ピア(peer to peer)の、中央管理の垂直型から中抜きの水平型に変わって、インダストリー4.0の時代になるだろうと新しい時代の到来を予見しています。この変化はチケット販売システム(ASP)が稼働し始めた2000年代初頭に私たちの目の前で起こっています。上記のような「価値の共創と共有」と、それによってつながるpeer-to-peer connection或いはpeer-to-peer networkとしてのマーケットの演繹的推論を、当時慶応大学商学部教授でサービス経済を専門とする井原哲夫先生の『愛は経済社会を変える』の「親密圏概念」の力を借りて私は『人間の安全保障としての芸術文化―人間の家・その創造的アーツマーケティング』で提案しています。

推論とは言え、その演繹のロジックの飛躍は正当化できるのか暴論なのかは読者に委ねるしかないが、「芸術水準の向上」という政策目的の指標として観客動員数というアウトプットを設定したり、コロナ禍にあって映像配信を「文化芸術収益力強化事業」補助金の対象として「収支構造を変える」という現場感覚を喪失した空中闊歩的な政策立案をしたり、「自走化」の政策目的に対して「マーケットイン」という見当はずれな経営用語を振りかざす近視眼的な短期成果をあげたい思惑が透けて見えるこの間の迷走ぶりよりも、第一次基本方針で示された「共に生きる社会の基盤の形成」をするのが文化芸術の社会的存在意義であり、「文化芸術は、芸術家や文化芸術団体、また、一部の愛好者だけのものではなく、すべての国民が真にゆとりと潤いの実感できる心豊かな生活を実現していく上で不可欠なものであり、この意味において、文化芸術は国民全体の社会的財産であると言える」を実現するために、上記した「文化芸術収益力強化事業」、「マーケットイン」と比較すれば創造的であり、科学的なロジックに基づいていると考えています。自画自賛、我田引水が過ぎるとは思いますが、これは、文化ビジネス環境を「常識」に囚われないで大きく変えることで、無論近い将来の人口減少によるマーケットの縮小に対処する面もありますが、家計の消費支出にしめる食料費の比率である「エンゲル係数」というすっかり忘れていた言葉をニュースショーで小学生の時以来久しぶりに聞き、私の関わっているフードバンクの実態は、急速に貧しくなっていく日本の縮図になっています。炊き出し場の行列を見ると、近い将来、餓死者が出るのではないかと憂鬱になります。