第5回 まだ、眠るわけにはいかない。
2007年6月3日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
金沢市 民芸術村の新村長藤井宏さんからメールをいただいた。前回の館長エッセイで書いた芸術村のオープンスペースの経緯を教えていただいた。利用者同士のいくつかのトラブルが過去にあり、警察からの連絡が入ったこともあったということでした。
でも、と私は言います。だからと言って、事務所側が利用を規制することは「芸術村の開村の精神」の敗北であると思います。規制することによって閑散とした場所になることは予想できたことです。「開村の精神」から言えば、当事者同士の話し合いを仲介し、調整するのは、市民ディレクターであるべきです。開村時には、利用規則まで市民ディレクターがみずから時間をかけて試行錯誤をしながらつくっていたほど自立した文化自治を体現していたのですから。「管理型」にすると仕事は楽になります。しかし、それをしないところに、つまり市民への「権限の委譲」と「自己責任」に 金沢市 民芸術村の礎があったことは確かなのです。
市民ディレクターの側もその「管理」を甘受していたとすれば、彼らの中でも開村の精神の風化が相当進んでいたといわざるを得ないでしょう。彼らは大切なものを手放してしまったのです。事務所も市民も、ともに風化に身をまかせていたのではないでしょうか。もう一度、原点に戻るべきであると思います。
可児市 文化創造センターにも危険な場所はあります。劇場に面して傾斜して広がる芝生とその扇の要のところに設けられた野外舞台があり、その後ろに高い石垣があります。
そこは子どもたちの「冒険」の基地になっています。水に入って素っ裸ではしゃぐ子たち、石垣を登り始める子どももいます。伸びやかに彼らは遊びを創造しています。それは確かに少し危険なことではありますが、私は制止するつもりも、禁止するつもりもありません。 可児市 文化創造センターは、彼らにとっては「基地」であり、「勉強部屋」であったり、世界とつながる「パソコン基地」であったり、彼らにとっては珍しい本の「図書館」であったり、DVDやビデオの「鑑賞室」であったりします。それはそれで良い事だと思います。以前書いたように、禁止事項の張り紙の多さだけ市民と乖離することを、私たち劇場経営に携わる者は肝に銘じるべきです。子どもたちにとってalaがさまざまな意味の「基地」であるように、音楽好きにとっても、また演劇好きにとっても、やっぱりalaは「基地」なのですから。
いつも、いつでも、どこにいても、私たち劇場に携わる者は、放っておくと「管理」することに流れてしまう自分を戒めながら仕事をしなければならないと思います。「自治」には責任の重圧があるし、「自由」には手に汗をにぎる者が必要ですし、いずれにしても「管理」よりは大変な仕事になります。しかし、だからこそ「仕事」なのであり、「管理」は劇場に携わる者にとって敗北であると思うべきではないでしょうか。
地域に出てから十年目に 金沢市 民芸術村に携わり、二十年目に 可児市 文化創造センターに出会いました。三十年目はないでしょうが、ここalaでも私はスタンスを変えないで市民に良質のサービス(体験・経験)を提供することに専心しようと考えています。また、いままで蓄積した私の経験や考え方のやり残しのないように、私のすべてをこの劇場に注ぎそそぐ決意です。いつかこのエッセイで触れる機会はあるでしようが、四十代前半に上梓した『芸術文化行政と地域社会』をつい先日読み返す機会がありました。やはり私は、この本で構想した地域社会と劇場の関係をなぞって生きてきている、と感じました。
最後に、私の好きな詩を書きとめて、筆を置きます。アメリカの国民的詩人であるロバート・フロストの『雪の宵の森にたたずんで』という題の詩です。
森は美しく、暗くて深い。
だが私には約束の仕事がある。
眠るまでにはまだ幾マイルか行かねばならぬ。
眠るまでにはまだ幾マイルか行かねばならぬ。
「Stopping by Woods on a Snowy Evening」