第2回 すべてが「個性」として。
2007年4月28日
可児市文化創造センター館長兼劇場総監督 衛 紀生
劇場に勤務する一方で、私は、県立宮城大学事業構想学部・大学院研究科でアーツマネジメント、アーツマーケティング、文化政策の教鞭をとっています。教鞭をとる、といっても、「教える」という姿勢ではなく「導くためのサポート」をしていると言ったほうが良いでしよう。現に、学生や院生から教えられることも多いのですから。
さて、四月の最初の講義やゼミでは、やはりアーツに関する学問ですから「アーツって何?」ということをやります。そこで私は両手を大きく左右に開いて、「右手が作品だとして、左手が鑑賞者や観客、聴衆だとして」と言ってから、おもむろに手をたたきます。「パーン」と乾いたいい音が講義室に響きます。「この音がアーツです、もちろん良い音のときも濁った音のときもあります」と言うと、皆が狐につままれたような表情をします。
アーツとは、そのように手と手が出会う「一瞬」とその積み重ねであり、感動とか共感はそうして生まれるものと私は思っています。作品だけで独立しているものではなく、ましてや鑑賞者が作品と独立して存在するものでもありません。両者が「出会って」はじめて「アーツな時間」が生まれると思うのです。したがって、100人がある作品と向かい合えば、100の、相似形ではあっても異なった「アーツな時」が流れるのです。ということは、その100人の「個性」と100人の生きてきた「個人史」が、まるごと作品と出会うことであり、それらが尊重されるということを前提にしてアーツは存在するということです。
つまり、世代間の違い、男女の違い、障害のあるなし、国籍の違い、それらすべてが「個性」であり、その違いこそがアーツの豊かさと言えます。ですから、私は、 可児市 文化創造センターはすべての可児に住む方々、周辺の地域に住んでいらっしゃる方々にとっての「豊かさ」を実感し、他者に共感して、「個性」を認め合う場所でありたいと思っているのです。
心のバリアフリーは、アーツな環境から発信できるメッセージであると確信しているのです。すべての違いが「個性」として伸び伸びと、そして生き生きと存在できる場所として、可児市文化創造センターを経営していきたいと意を新たにしている四月の連休前の私です。