第17回 2012年が明けました。
2012年1月26日
可児市文化創造センターala 事務局長 篭橋義朗
今年はアーラがオープンしてちょうど10年が過ぎることになります。区切りの年としていろいろ思う訳ですが我が国の文化振興施策、地域の文化行政にとって本当に波風が立った10年であったと思います。2001年に文化芸術振興基本法が施行され国及び地方がその基本理念と施策の基本となる事項が定められました。ちょうどアーラのオープンを控えたときであり、国の明確な姿勢によって私たちも自信を持ってアーラの建設理念、運営計画の実現に胸を高鳴らせたことを思い出します。2003年には指定管理者制度が発足し、可児市は2006年度から可児市文化芸術振興財団を単独で指定しました。この準備作業は2年間にわたっております。やっとの思いで5年間の指定を受け、ほっと一息と思ったのもつかの間で2008年には公益法人改革3法が施行され2011年度からの公益財団法人移行のための調査研究が始まりました。同時並行で2回目の指定管理者の単独指定を受けるための議論と説明で随分消耗しました。
それ以前の文化行政ははっきり言って重要視されていなかった分野であったと思います。高度経済成長時代から経済発展重視の政策が第一義とされ、文化政策においても全国に文化会館を建設することで文化振興が推進されているという論理で進められてきたのだと思います。「仏作って魂入れず」でいわゆるハコモノ行政の象徴として批判を受けることになりますが、やはり建設することに意味があったのだと思います。しかしそういう批判にもかかわらず文化芸術は依然として行政の各分野のうちの隅っこにあり、あまり顧みられませんでした。というよりそれまでの長い日本の歴史の中で培われてきた日本人の精神文化の遺産で社会基盤が維持されてきたというべきかもしれません。
しかしここへきて社会的にも経済的にも停滞してさまざまな矛盾が社会問題となってきたことにより文化芸術の必要性まで真剣に考えなければならないところまで社会が劣化してきてしまったのかもしれません。公立劇場としての本旨をあらためて真剣に考えなければならなくなったのは2003年の指定管理者制度でした。それまでの公立劇場の運営が制度的に全否定されたのです。「民間のノウハウで効率的な運営とサービス向上を図る。」というのが趣旨ですが、「公立」の劇場は民間に比べて非効率でサービスも劣っているというハコモノ批判で使われた論理をもって乱暴でしかし分かりやすく決めつけたうえでの制度導入に対して反論と私たち財団の優位性を説明し続けた過程で、実はそれまで一般論としての文化芸術の必要性しか考えていなかったことに気付きました。劇場の意味、公立の意味を真面目に考えればそれまで一般的に考えられていた文化振興に対するイメージが180度違っていたということです。私たち文化振興に関わる者の視線がそれまでアーティスト側の活動環境の整備やそのためのチケット販売を主体に考えてきましたが、そうではなく劇場の意味や公立の意味を考えると私たちの考える出発点は地域の住民でありお客様の視点でなければならないということです。舞台芸術を創る主体は当然にアーティストです。アーティスト個人の溢れる才能を具現化し、素晴らしい作品を創造してもらいたいと思います。それをマネージメントする私たちの視線は市民、観客の側からであるべきです。そのような帰着点から私たちは可児市文化創造センター・アーラをもって可児市のシティープロモーションの大きな要素にしたいと思っています。
この約10年の劇場を取り巻く環境の激変の最終段階として、現在文化庁で議論されている「劇場法」(仮称)の制定に結実するのだと思います。その考え方の中にある「劇場の社会包摂機能」に着目されたことはそのことを表しているし、今後の劇場の在り方もこのような考え方で規定されてくるのだと思います。これまで鑑賞事業の開催だけではなく「アーラまち元気プロジェクト」として作品創造やワークショップ、アウトリーチ、多文化共生事業、教育や福祉施策との連携などを大きな柱としてきたことはこれからの公立劇場の社会的な任務として活動していかなければならないと思っています。この経過、考え方についてのアーラの意見は館長エッセイ等でご覧になっていただきたいと思います。
今後の10年がどのような社会情勢になるかは分かりませんが、分かっているのは喜び、悲しみを抱えながら人々が生活し、生きていくことだけははっきりしています。その時に劇場の存在が人々の心の拠りどころとなり誇りある地域の顔となることを願っています。